リウマチ ストレス 2
今回は、
『心とカラダ 2』
についてお話します。
短気で暴言を吐き続けてきた私には、
他にも頑固な一面があります。
『強すぎる責任感』
です。
それは私が、膠原病(リウマチ)と
診断される前から、
持ち続けていた『癖の悪い性格』です。
責任感と聞けば、
しっかりしている…
頼りになる…
あの人だったら大丈夫…
などの、良い印象があると思いますが、
『強すぎる責任感』
はかえって悪い印象を与え兼ねます。
許せない存在…
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例えば、
私は頼まれた事は断れず
「自分でなんでもしよう」
と常に思い、出来る限り人に頼らずに
生きてきました。
その結果、
自分を犠牲にして悩んだり、
できない事でもなんとかしようと
自分を追い込んだりを繰り返してきました。
もちろんそれは、
人の為にはいい事だと思うのですが…
自分の心にとっては過度のストレスとなり
重荷となっていきました。
そして、その過度なストレスは次第に、
家族や職場の仲間にも
向けてしまうようになり、
人のやることにゴチャゴチャ口を挟んだり、
その相手の反応に対してイライラして
怒ったり…
また、
無責任なヤツを見れば許せなくなって
いきました。
そしてだんだん、
人を憎むようになりました。
私の心は常にイライラ…
私のカラダは常に力んでいました…
『頭に血がのぼる』
この感覚がハッキリと理解できる状態でした。
死んだ方がマシ…
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精神的にも肉体的にも疲れ果てて、
食事も次第に乱れていきました。
そしてその過度なストレスと、
荒れ果てた食生活が私を病気にさせて
いったのだと思います。
ですが、
それは私が膠原病『リウマチ』
という病気になってからも、
何も変わる事はありませんでした。
増して、リウマチになってからの方が
ストレスを強く感じましたし、
今まで他人に対し怒りを感じていたのが
反対に自分を責めるようになって
いきました。
『なんで自分だけがこんな目に…』
そして次第に
カラダ全体の関節が痛むにつれて、
自分の力だけでは何も出来なくなって
いきました。
『あいつは、終わった…』
人伝てで、こんな言葉が私の耳に入り
悔しくて…
悔しくて…
涙が出ました。
何もかも嫌になりました。
そして私は、
地元にある赤い大きな橋の上に立ち、
『もう、こんなみじめやったら…
死んだ方がいい』
と、何度も思うようになりました。
ただ…『幼い1人息子と妻』
この存在が私を踏み止めてくれました。
勝手な解釈
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仕事はもちろん出来ませんでしたし、
再度、就職を試みましたが『病人』
という条件が私のジャマをしました。
『病人だから…』
ただそれだけで、
こんなに苦労するのか?
こんなに区別されるのか?
と、今まで頼まれごとには人一倍
強い責任感を持って
『なんとかしなければ!』
と自分1人で抱え込み続けた…
そんな自分がイヤになりました。
『強すぎる責任感』
今まで散々、
頼まれごとは断れず、自分1人で抱え込み
それが多大なストレスとなって、
他人を責める。
そして人にイラつき、人を憎む。
一方でその頑固な強すぎる責任感が、
『自分は頼れる人間だ』
と勝手な解釈をして生きてきた。
そんな人間が、
何も出来なくなった…
もちろん頼まれる事もなくなり、
私の周りから人は離れていきました。
くだらない概念…
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『なんか助けられる事があれば、
いつでも言ってな』
とある日、妻に言われました。
『離婚したいなら、言えば?』
人に頼ることを否定し続けた私は、
みじめでした。
自分がすごく許せませんでした…
そして、妻は何も言いませんでした。
「なんで自分はいつもこうなんだ!」
そんな自分を、
責めるしかありませんでした。
朝のこわばりと全身の痛みで
布団も払うことができず1時間以上、
起き上がることが出来なくなった私は
その時ふと思いました。
『自分1人じゃ、何も出来ない。
今まで散々、文句ばかり言い続け
毎日のように妻に当たり散らしてきた…
なのに…』
その時、
なにかガラスが割れたかのような感覚が
今までの私のくだらない概念を
壊してくれました。
冗談抜きで危険です
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「こんな目に合う前に気付けよ」
頑固な強すぎる責任感の代償に、
私のカラダは不自由になりました。
もちろん、強い責任感を持って
明るく健康に生きている人もたくさん
いると思います。
責任感のある人は魅力的で、
頼りがいがあります。
ただ…
自分ひとりで抱え込まずに、
人に甘えたり人に頼ることが必要だと
身をもって私は感じました。
『頑固な強すぎる責任感』
交感神経が独占したカラダです。
冗談抜きで危険です。